インターネット広告やSNSマーケティングが企業の成長戦略において中核を担うようになった現代、企業はかつてないほどのスピードで情報を発信し、顧客とつながることができるようになりました。

しかし、この利便性の裏側には、ひとつの誤った表現が瞬時に拡散し、企業の社会的信用を失墜させるという巨大なリスクが潜んでいます。特に、医薬品、化粧品、健康食品、医療機器などを取り扱う企業にとって、医薬品医療機器等法、通称「薬機法」の遵守は、避けて通ることのできない最重要課題です。

かつては「少し大げさに表現しただけ」「競合他社もやっているから問題ないだろう」といった甘い認識が現場レベルでまかり通っていた時代もありました。

しかし、現在では行政による監視体制の強化、法改正による厳罰化、そして消費者のコンプライアンス意識の高まりにより、そのような旧態依然とした考え方は企業の存続さえ危うくする致命的な要因となり得ます。

本コラムでは、なぜ今これほどまでに薬機法遵守が叫ばれているのか、その背景にある法的な変遷と社会情勢の変化を詳細に紐解きながら、法務担当者任せにせず、現場で確実に機能する強固な「広告チェック体制」をどのように構築すべきかについて、経営的視点と実務的視点の双方から解説していきます。

経営リスクとしての薬機法:課徴金制度の衝撃

まず、私たちが直面している法的なリスクの大きさについて、正しく理解する必要があります。多くの企業経営者やマーケティング責任者が認識を改めるきっかけとなったのが、薬機法改正によって導入された「課徴金制度」です。

これまでの薬機法違反に対するペナルティは、是正命令や業務停止命令といった行政処分、あるいは刑事罰としての罰金が中心でしたが、この改正により、行政処分とは別に、経済的な制裁措置が加わることになりました。

具体的には、虚偽・誇大広告によって売り上げた対象期間の売上額の四・五パーセントに相当する金銭を、国庫に納付しなければならないという制度です。

この「売上額の四・五パーセント」という数字は、利益ベースではなく売上ベースで計算されるため、営業利益率が低い商品の場合、その期間に稼いだ利益のすべてが吹き飛ぶどころか、多額の赤字を抱える結果になりかねません。

例えば、該当する商品の売上が一億円であれば四百五十万円、十億円であれば四千五百万円もの課徴金が課されます。つまり、薬機法違反はもはや単なる法令遵守の問題ではなく、企業の財務基盤を直接的に毀損する重大な経営リスクとなっております。

さらに、この課徴金制度は、違反行為を主導した企業だけでなく、その広告に関与した関係者にも影響が及ぶ可能性があり、業界全体に大きな衝撃を与え続けています。

監視の目の多様化:行政・消費者・競合による包囲網

法律の厳罰化に加えて、監視の目そのものが多様化し、逃げ場がなくなっている点も見逃せません。かつては保健所や都道府県の薬務課といった行政機関による監視が主でしたが、現在は一般消費者や競合他社からの通報が行政を動かすケースが急増しています。

スマートフォンの普及により、誰もが広告に対して意見を発信できるようになった結果、不適切な広告表現は、行政が発見するよりも早く、SNS上で一般ユーザーによって指摘され、拡散されるようになりました。

「この広告は怪しい」「コンプレックスを煽るひどい表現だ」といった批判的な投稿は、瞬く間に数万件のリポストを生み、いわゆる「炎上」状態を引き起こします。

一度インターネット上に拡散された悪評は「デジタルタトゥー」として半永久的に残り続け、検索エンジンで社名を検索するたびにネガティブな情報が表示されることになります。

これは、新規顧客の獲得を妨げるだけでなく、既存顧客の離反、さらには採用活動における内定辞退の増加など、多方面にわたって深刻な悪影響を及ぼします。

また、公正な競争を阻害されたと感じる競合他社が、証拠を揃えた上で行政に通報するケースも増えています。

プロフェッショナルな視点からの指摘は行政にとっても動きやすく、確度の高い調査につながる傾向があります。

このように、現代の企業活動は、全方位からの厳しい監視の目に晒されており、「誰にも見つからないだろう」という希望的観測は通用しない時代に突入しているといえます。

組織に潜む病巣:なぜ不適切な広告が生まれるのか

では、これほどリスクが高まっているにもかかわらず、なぜ依然として違反事例が後を絶たないのでしょうか。

その原因を探ると、多くの企業に共通する組織的な構造欠陥が見えてきます。最も根本的な問題は、マーケティング部門と法務・コンプライアンス部門の間にある、埋めがたい意識の乖離と連携不足です。

マーケティング部門は、企業の成長のために売上を最大化することをミッションとしています。そのため、商品の魅力をより強く、より魅力的に伝えたいという動機が働き、どうしても効果効能を断定的に書きたくなったり、劇的な変化を強調したくなったりするバイアスがかかります。

一方で、法務部門はリスクを回避することを最優先とします。この両者のパワーバランスが崩れ、「売れることが正義」という空気が組織を支配してしまうと、法的なチェック機能は形骸化します。

「法務を通すと表現が弱くなる」「チェックに時間がかかって商機を逃す」といった理由で、現場判断によるグレーな表現が容認されることもままあります。

また、担当者の「属人化」も大きなリスク要因です。明確なガイドラインがなく、「前任者がこう書いていたから」「これくらいなら大丈夫そう」という個人の感覚に依存して広告運用が行われている現場は極めて危険です。

担当者が変わるたびに基準がブレてしまい、統一感のない、そしてリスクの高い広告が量産されることになります。さらに悪いことに、外部の広告代理店や制作会社への「丸投げ」も横行しています。「プロに任せているから法律面もクリアしているはずだ」という思い込みは禁物です。

外部パートナーの中には、コンプライアンスよりも獲得効率(CPA)を下げることを優先し、あえて過激な表現を提案してくる業者も存在します。最終的に法的責任を問われ、社会的制裁を受けるのは広告主である企業自身であることを忘れてはいけません。

解決策の第一歩:自社専用ガイドラインの策定と教育

こうした組織的な課題を解決し、安全かつ効果的なマーケティング活動を行うためには、体系的なチェック体制の構築が不可欠です。その第一歩となるのが、自社独自の「ガイドラインの策定と周知徹底」です。

多くの企業では、厚生労働省や都道府県が発行している公的なガイドラインや解説書をそのまま社内規定として参照しているケースが見受けられます。

しかし、法律の条文や専門的な行政文書は難解であり、現場の担当者がそれを読み解き、日々のクリエイティブ制作に落とし込むことは極めて困難です。

そのため、自社が取り扱う製品カテゴリー(化粧品、健康食品、医療機器、雑貨など)に特化し、かつ現場の実情に即した「翻訳されたルールブック」を作成する必要があります。

具体的には、過去に社内で議論になった表現や、業界でよく使われがちなNGワードをリストアップし、それに対する「OK表現(言い換え例)」をセットで提示することが効果的です。

例えば、化粧品において「肌が白くなる」という表現は承認された効能を超えているためNGですが、「メーキャップ効果により肌を明るく見せる」であれば事実に基づく限り使用可能である、といった具体的な事例を豊富に盛り込みます。

しかし、単にリストを渡すだけでは不十分です。「なぜその表現が禁止されているのか」という法の趣旨、すなわち「消費者を誤認させない」「人体への影響を正しく伝える」という根本的な考え方を理解させるための社内研修を定期的に実施することも欠かせません。

ルールを暗記させるのではなく、法の精神を理解させることで、未知の表現に直面した際にも、自律的に適切な判断ができる人材を育成することが、長期的なリスク低減につながります。

解決策の第二歩:多層的なチェックフローの強制化

ガイドラインを策定した次に実行すべきは、「多層的なチェックフローの確立と強制化」です。どれほど優秀な担当者であっても、またどれほど教育が行き届いていたとしても、人間である以上、見落としや判断ミス、あるいは魔が差す瞬間は必ず発生します。

これを防ぐためには、一人の判断で広告が世に出ることのないよう、必ず複数の人間が異なる視点で確認する仕組みを、業務フローの中に物理的に組み込む必要があります。

理想的なフローは、まず制作担当者がガイドラインに基づいてセルフチェックを行い、次にマーケティング責任者が企画の意図と整合性を確認し、最終的に法務担当者や外部の専門家が客観的な法的審査を行うという、三段階のプロセスです。

ここで特に重要なのは、マーケティング部門とは利害関係のない、第三者的な視点を必ず入れることです。

売上目標を背負っているマーケティング担当者同士でのチェックでは、どうしても「売りたい」という共犯関係に陥りやすく、リスク評価が甘くなる傾向があります。

売上とは直接関係のない立場から、冷徹に「この表現はリスクが高い」とジャッジできる機能を組織内に持たせること、あるいは外部のリーガルチェックサービスを利用することが、組織の暴走を防ぐための安全弁となります。

このチェックプロセスをワークフローシステムなどで管理し、誰がいつ承認したのかという履歴を確実に残すことは、ガバナンスの強化だけでなく、万が一トラブルが発生した際の原因究明や証拠保全としても極めて重要です。

解決策の第三歩:エビデンスの徹底管理と保存

体制構築の仕上げとなる第三のステップは、「エビデンス(根拠資料)の管理と整理」です。広告で何らかの効果や事実を主張する場合、それを裏付ける客観的かつ合理的な根拠資料を持っていることが大前提となります。これは薬機法における虚偽・誇大広告の禁止だけでなく、景品表示法における不実証広告規制への対策としても極めて重要なポイントです。

景品表示法では、広告表現の根拠について消費者庁から提出を求められた場合、企業は「十五日以内」に資料を提出しなければなりません。

この期間内に合理的な根拠を示せない場合、その表示は不当表示とみなされ、措置命令の対象となります。十五日という期間は、新たな試験を行ったりデータを集めたりするにはあまりに短く、調査が入ってから慌てて準備をしても手遅れになることがほとんどです。

したがって、広告を作成する段階で、その表現の根拠となるデータ、試験結果、学術文献などをセットで整理・保管しておく運用を徹底すべきです。

特に、「ナンバーワン」表示や「日本初」といった最大級表現を使用する場合、あるいは「使用者の満足度九十パーセント」といった数値を掲載する場合には、その調査が客観的かつ公正な方法で行われたものであることを証明する詳細な資料が必要不可欠となります。

これらの資料が、担当者のパソコンの中に散逸しているのではなく、会社としていつでも提示できる状態で一元管理されているかどうかを定期的に監査することも、チェック体制の一環として組み込むべき重要なプロセスです。

デジタル時代の盲点:アフィリエイト・インフルエンサー管理

さらに、現代の広告運用において見落としがちなのが、アフィリエイト広告やインフルエンサーマーケティングにおける管理体制です。

以前は、アフィリエイターやインフルエンサーが個人の感想として書いた内容については、広告主の責任を問うことは難しいとされていました。しかし、現在では法解釈の厳格化やステルスマーケティング規制の導入により、状況は一変しています。

広告主がアフィリエイトサービスプロバイダ(ASP)などを介して具体的な指示を出していたり、成果報酬を支払っていたりする場合には、それらの投稿は広告主の管理下にある広告とみなされ、そこに違反があれば広告主自身が責任を問われる可能性が非常に高まっています。

したがって、外部の協力者が発信する情報についても、自社の公式サイトと同様の厳しい基準でチェックを行う必要があります。

インフルエンサーに商品をギフティングする場合や、投稿を依頼する場合でも、事前に投稿内容の下書きを確認させてもらう契約を結ぶことは必須です。また、掲載後も放置するのではなく、定期的にキーワード検索や画像検索によるWEBパトロールを行い、意図しない不適切な表現が拡散されていないかを監視し、問題が見つかった場合には速やかに修正や削除を依頼できる体制を整えておくことが求められます。

これを怠り、インフルエンサーが炎上した際に「弊社は関知していない」というスタンスを取ることは、今の社会では通用せず、むしろ企業の無責任な姿勢としてさらなる批判を招くことになります。

おわりに:コンプライアンスを「攻め」の武器に変える

ここまで、薬機法違反のリスクと、それを防ぐための具体的なチェック体制について解説してきました。

これらを読んで、「なんと面倒なことだ」「ビジネスのスピードが落ちる」と感じられた方もいるかもしれません。しかし、最後に強調したいのは、薬機法遵守を単なる「守り」や「制約」として捉えるべきではないということです。

確かに、法律を厳密に守ることで、使える言葉は制限され、一時的に広告の派手さは失われるかもしれません。

しかし、一度でも行政処分を受けたり、炎上してしまえば、その代償は計り知れず、失った信頼を取り戻すには長い年月が必要となります。

一方で、法律を遵守し、科学的根拠に基づいた誠実な情報を発信し続けることは、消費者からの深く、そして永続的な信頼を獲得することにつながります。

情報過多の現代において、消費者は「信じられる情報」を求めています。「この企業の言うことなら間違いない」「このブランドは誠実だ」という評価は、何にも代えがたい無形の資産となり、結果として中長期的なブランド価値の向上と、安定した売上をもたらすことになります。

つまり、徹底した広告チェック体制の構築は、リスク管理であると同時に、ブランドを強くし、競合との差別化を図るための、最も確実な「攻め」の戦略でもあります。

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■この記事を書いた弁護士
弁護士法人グリーンリーフ法律事務所
弁護士 遠藤 吏恭
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